今日紹介するのは オバデヤ です。
聖書の オバデヤ書 に記されています。
オバデヤ書は1章しかなく、旧約聖書で一番短い書物です。
オバデヤの名前は「神を礼拝する者」を意味しています
この人は B・C855-840。もしくはB・C630年頃の人です。(諸説あり)
生きていた場所は南ユダ王国。
オバデヤは、近隣国であるエドムに対して神様の裁きを預言しました。
双子の兄弟ヤコブとエサウに遡り、ヤコブはイスラエルの先祖となり、エサウはエドム人の先祖となりました。
古代都市ペトラとして有名な場所です。
高いところに陣を構え、「誰がわたしを地に引きずりおろせるか」と傲慢になっていました(3節)。
非常に荒々しい戦士が揃っていたとのことです。
また自給自足を誇り、難攻不落を自負しておりました。
しかし、それは自分の力に高ぶっているだけで、神による本当の安心ではありません。エドムは神から離れ、自らの力に酔いました。
イスラエルがバビロン捕囚として連れて行かれるのはもっと先のことですが、エドムは助けに来るどころか、捕虜を捉えて敵に渡したり、略奪も行ったりしたとのことです。
神を忘れ、兄弟イスラエルを裏切り、その破滅を喜んだのです。
詩篇に137編7節にこうあります
主よ、覚えていてください/エドムの子らを/エルサレムのあの日を/彼らがこう言ったのを/「裸にせよ、裸にせよ、この都の基まで。」
オバデヤはこのようなエドムの高ぶった態度に対して神の裁きがある事を預言しました。
高ぶる者は引きずりおろされる、
これがオバデヤに与えられた預言の中心メッセージです。
15節からはエドムではなく全人類にむけて語られます。
ヘブル語で「エドム」と「アダム(人)」は同じ綴りです。
エドムの高ぶりが低くされるのと同じように、全人類の高ぶりもまた低くされるのです。これは世界共通の真理です。
ここでオバデヤの忍耐について考えてみたいと思います。
オバデヤの忍耐は「力ある者が高ぶり続けるのを見る」ということでした。
オバデヤの生きていた時はまだエドムは高い岩の上で力を誇っていたからです。
神の真理はあるタイミングで起こります。
それまでは高ぶる者の高ぶりに忍耐しなければならない時もあるのです。
ではオバデヤに与えられた慰め/励ましはなんだったでしょうか。
オバデヤに与えられた慰め/励ましは「最後に愛は勝つ」ことを見たことでしょう。
19節から土地の名前が出てきます。
これは神様がアブラハムに約束した土地であり、ダビデも、ソロモン時代よりも広大な土地です。
この土地こそ神の王国が建設される場所です。
オバデヤは破壊されるイスラエル、裏切られるイスラエルを幻の中で見ていますが、
もっと将来には回復されるイスラエル、神の愛が注がれるイスラエルを見ました。
力あるもの、高ぶる者、裏切る者が支配する世界ではなく、
愛と正義を行われる主の創られる世界を見た事がオバデヤの慰めであったと思います。