今日紹介するのはアモスです。
聖書のアモス書に記されています。
アモスの名は「重荷を負う者」という意味です。
アモスはエルサレムから南東18kmほどにあったテコアの出身で、羊を飼う牧者でした。またいちじく桑を栽培していたとのことです。
つまり田舎者です。
わたしも田舎から出て来た者なので勝手に身近に感じています。
そのアモスが都会(エルサレム)に出て預言者として活躍するのがアモス書です。
律法や神学を専門的に学んだ人ではありませんでした。
無学な人でしたが、都会の裕福で学もある人たちに向かって語るのです。
神様はこのような人をたてられるお方です。
さて、アモスが活躍したのは南ユダのウジヤ王、北イスラエル王ヤロブアム2世の時です。B・C770‐750年頃と考えられます。
二人とも王とも有能で国を大きく発展させました。
時代はバブル期です。
人々の生活は豊かになりました。人はこういう時に神を忘れ、他のものを崇めるものです。また、正義がなくなり、この時代も例外ではありませんでした。弱い人を奴隷として売り払うということもあったようです。(2:6)
アモスはベテルで神の預言を語ります。
ここは宗教的な中心地であり、学者もいれば権力者もいます。
その中で圧力を受けながらも預言を語ります。(7:10~)
特徴としては 諸国の民とイスラエル(北イスラエルと南ユダ)への神の厳しい裁きを伝えています。イスラエルの民はエジプトから贖いだされ特権が与えられた民です。特権があるため責任も重いのです。
預言の中に「三つの罪 四つの罪」と出てきますがこれは罪が満ちてきてあふれる様を描いています。罪があふれたために裁きがくだされます。
アモスの裁きの言葉は特徴的な書き出しにあります。
「主はこう言われる」(1、2章)
「この言葉を聞け」(3~5章)
「災いだ」(新改訳では「ああ」という嘆きの言葉)(5:17、6:1)
迫ってきますね。
イスラエルの罪は礼拝にまで及んでいました。
人々は裕福ゆえに多くの捧げものをしましたが神様はこれを受け取らないと言われました(5:21)。
なぜなら神を礼拝する者であるにも関わらず、人に対して無関心、無正義でいたからです。
神を礼拝する者は人々にもその正義が川のように流れるはずなのに・・・(5:24)
神様との関係が薄くなることによって、人々の心も偏り、正義ではなく偏愛になっていくのです。
7章からは将来に起こる出来事を預言しております。アッシリア帝国による侵略と北イスラエルの壊滅についてです。それを「その日」と表現しています。これは5:18にある「主の日」のことです。
全体が重い裁きの言葉に満ちているアモス書ですが最後の5節(9:11~15)にはイスラエル再興の希望の言葉で閉じられています。
アモス書の目的はこの希望に向かって裁きの警告がなされ、また将来の幻を伝えます。
残念ながらこれを聞いた人々は回心せず、裁きを受けることになります。
ここでアモスの忍耐について考えてみたいと思います。
「畑違い」という言葉があります。
専門外の事に口や手を出すことです。
アモスの活動は1年ぐらいではなかったかと言われていますが、その間、彼はまったく違う「畑」で働いたのです。
それゆえに「その畑の人」(祭司アマツヤ)に「圧力」をかけられたのです。通常であれば引っ込むところを彼は主からの召命を盾にして戦いました。ここに忍耐があったと思われます。
そして、アモスに与えられた慰め/励ましを考えてみます。
それは「主からの確かな召命」です。アモスが出向いた都会では裕福ゆえに人々は自由を謳歌していました。しかし、それは同時に曖昧さの中に生きることでもありました。
何が本当の正義か?
何が本当の礼拝か?
人々の心は自らの興味関心に流されていたのです。
しかしアモスには「確かな神の声」が与えられ、それに生きることができました。
この確かさこそが、アマツヤの圧力を跳ね返す力になったのです。
つまり、彼自身をブレない人へと変えていきました。
神の確かさが彼を支えていたのです。これが私たちへの慰めであり、励ましでしょう。
最後にアモスがイスラエルに語った言葉を私への言葉として聞きたいと思います。